岐阜・岐阜市の神護山 崇福寺が「御朱印めぐり」で紹介されました。目の前には山の上にそびえる岐阜城が見え入り口からしてすばらしい景観です。【東海テレビ/スイッチ2016年5月12日放送】
神護山 崇福寺
1511年、戦国武将の斉藤利匡によって創建されました。郷土の三英傑、織田信長に縁があり1567年に織田家の菩提寺になりました。一歩中に入ると趣を感じさせる庭園。先代の住職が仏の世界を想像して作ったそうです。
崇福寺の第三代目住職 快川国師。諸説ありますが、織田軍と武田軍の戦いで武田軍をかくまった罪をきせられ信長の長男・信忠に討たれたと言い伝えられています。燃え上がる炎の中、最後に残した言葉〝安禅心頭滅却すれば 火自ずから涼しい〟(〔意味〕心を整えれば 火をもかんじない)⇒精神力の強さの教えになっています。
こちらにある梵鐘、とても立派なものです。約450年前に西美濃の豪族・稲葉一鉄が若き日に、崇福寺で修行したお礼に寄贈した鐘。現在で三代目になります。一説には「頑固一徹」という言葉は、稲葉一鉄が頑固者だったことからきているといわれる。
本堂の屋根に3つ違う御紋が付いています。左右が徳川家(葵の紋)、崇福寺は徳川幕府により守られた朱印地。真ん中が皇族の証、有栖川宮家(菊花紋)、有栖川宮家 初代好仁親王の時から祈願所として位牌を納めている。
本堂の前には皇族しか開くことを許されない「勅使門」が残されています。
いよいよ本堂へ。ご本尊は延命地蔵菩薩。江戸時代の仏師の鉊珪(しょうけい)の作とされ寿命を延ばすと言い伝えられています。左右にはゆかりのある、織田信長と快川国師の画が飾ってあります。
さらに奥に行くと、およそ450年ほど前、信長が崇福寺を保護するために書かれた〝禁制書〟が展示してあります。このお寺で乱暴な振る舞いをすれば処分すると書かれています。当時のまま現存しています。
側室小倉なべ消息(手紙)。1582年、信長の側室・小倉氏が送った手紙。遺品などを崇福寺で保管するように書かれています。崇福寺の歴史を物語る貴重な資料です。
さらに、およそ400年前、岐阜城が落城した時のことを物語る武将の血痕。弔いのため、床板そのものを天井に張り替えた〝血天井〟が。
本堂の裏には信長公と信忠公のお墓があります。「織田信長公父子廟」には、一つの墓石に親子の名前が刻んであり、珍しいものだそうです。当時のまま残されています。
御朱印
神護山 崇福寺
【住所】岐阜県岐阜市長良福光2403-1
【電話番号】(058)231-2613
拝観料 おとな 200円 こども150円
御朱印 300円
⇒崇福寺HP
長良川鵜飼
崇福寺から徒歩15分。名水100選にも選ばれた長良川を渡ります。
鵜飼乗り場があります。今年、始まったばかりの長良川の鵜飼(10月15日まで開催)、1300年以上の歴史があり水面を映すかがり火は岐阜の夏を彩る風物詩です。国指定重要無形民俗文化財。
長良川鵜飼
岐阜市鵜飼観覧船事務所
【電話番号】(058)262-0104
【料金】※要予約
平日 大人3100円~ 小人1700円~
鵜飼開始は午後7時45分~
出船時間(1)午後6時15分~(2)午後7時15分~
⇒ぎふ長良川鵜飼HP
川原町
長良川沿いにあるのが、川原町。江戸時代にはたくさんの材木問屋や紙問屋で賑わい軒を連ねていました。現在も当時の雰囲気を残したまま飲食店やギャラリーで町を盛り上げます。
川原町屋
130年前に建てられた和紙問屋を21年前に改装したカフェ&ギャラリーの「川原町屋」。趣を感じさせる店内には美濃和紙などの岐阜の工芸品が数多く展示されています。
おくに進むと、かつて和紙を湿気から守っていた蔵。改装して今ではレトロな雰囲気をかもし出したオシャレなカフェスペースに。
コチラのおススメ〝あんみつ〟750円。蔵のイメージに合わせた一品は甘さ控え目。お好みで黒蜜をかけて。落ち着いた雰囲気でいただくのにピッタリですね。
川原町屋
【住所】岐阜県岐阜市玉井町28
【電話番号】(058)266-5144
【営業時間】午前9時〜午後7時
【休日】年中無休
あんみつ 750円
⇒川原町屋HP
歴史と趣。風情を感じる街並みです。
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